学力と階層








ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 「自分らしさの追求」や自己実現という欲求は強化されるのに、それを達成する手段が社会に十分提供されていない状態、欲求は高まっているのに、それを実現する手段が与えられていない状態を社会学者は「アノミー」と呼んでいるが、自己実現をめぐっても、まさに「自己実現アノミー」と呼べる状態が生じている。宙ぶらりんな「自分探し」をしているつもりの若者を生み出し続ける私たちの社会は、この自己実現アノミー状態にあるといってよいだろう。たんなる、若者たちの意識の問題ではないのだ。
(中略)
 しかも、それは、社会的な偏りをもって生じている。(中略)まさに、階層的な偏りを持って無業者は発生している。

(p305-学力と階層/刈谷剛彦)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー









平等社会の落とし穴、教育改革によって見えはじめた教育と社会格差にまつわる影の部分とは。またそれが、なぜ、どのように日本社会へ影響があるのだろうか。というところを論じた本。


「教育とは、前進や改良を目指す人類による楽観的な営みである。」
教育を普及することで誰しもが平等に社会をより良くできる。しかし社会学の観点からの考察でははこの営みはけして平等には成立していない。
それよりも、教育に於いてそもそも個人の学習能力には明確な差異がある。それは子供が生まれ育つ家庭の環境、階層と密接に結びついている、という。
「自ら学ぶ力」「生きる力」をいくら押し付けられても、生まれた場所によってそれをどれだけ受け取れるのか決まってしまうということだ。



私が中学生頃からずっと感じていた教育制度への違和感を、私が漠然と考えていた以上に的確に統計や実証研究によって説明してくれて目から鱗だったり火花が出ました。
これが現状どのように活かされているのか、またこういったデータ分析を活かした教育制度が本当にこれから作られていこうとしているのかには疑問を感じます。





自己=資本
自ら学び、資本価値を高めて行かないと生き残れない社会だということに私たちは気付いてしまっているし
それにもかかわらず、本当に切実に問題に気付く環境下になった人間はこの世界で息をすることに精一杯。


学歴レースから離脱した者と、それを選ばざるをえなかった者どちらも「自己実現」、「自己達成」「自己責任」など、自己~という言葉に踊らされている者であるという括りは、まさにそのとおりだとうなづくしかない。
学歴レースが資本主義社会に「望まされた」自己欲求だということに薄々気付き、それに抵抗する形で若者が経済社会からドロップアウトを決め込んでいるように私には見える。



しかしそれでも、第3の道を閉じたまま実は同じ道の轍にはまっているのだ。
少なくとも第3の道はドロップアウトすることや無視を決め込むことじゃない。


次の世代も同じ轍にはめたいのか?

コメント