木が人になり、人が木になる/岩田慶治

今にして思えば、原風景は二枚重ねの風景画だったように思う。近景としての日常風景の場面、つまり、一人ひとりあそこに生まれ落ち、多少とも窮屈で、何もかもが有限で、うつろいやすく、表面的な近景と、その向こう側の、無限で、自由で、こころの奥に染み通るような遠景が一枚になっていたのである。

木が人になり、人が木になる/岩田慶治




アニミズムとはなにか。 
同時性(共時性)。 

自分自身を無くして何かを為すということは出来ない。 
自分を鏡として自然と対峙し、自分自身、同時に世界を見る。 

心(自己)を捨てて、無になること。 
そして自然と合わさった己が無二のものになること。 
それが同時におこること。 

矢を射ると鳥が落ちる。しかし矢を投げる前からそれは的に当たっていたのだ、という表現を著者はしていた。 
「そこ」が「ここ」で、「この時」が「あの時」、だとか。 

そういったことばの端々に共感する事しばしば、でした。 


アジアの少数民俗の村々の習俗や儀礼の知恵はとても興味深いものでした。 
禅僧・道元、科学者・柳田邦男、フンボルト、リッター、などなど非常に多くの方の引用が出て来ます。が、本章になると多数の引用に流されてすこしドラマティックすぎるような気も。 

この先生の講義でこの内容を聞いたらちょうどいい案配になりそう。 

最後の「付論」と付いていたいくつかのトピックのほうが、それぞれの小論で述べていたことの総括になっていて、こちらのほうが おさらい的にわかりやすかった。

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