ぼくたちのアイスカメラ?
前回の記事でも書いていた、アイスカメラ制作が19日で終了しました。
私自信は13、14とイサムさんの雪玉制作のお手伝いをしていたこともあり、連日7日間厳寒の北海道で雪の制作を行っていました。
ただ、アイスカメラは授業だと言うのに2日目に腹痛&頭痛&ものもらいの初期症状とでダウン…目薬を差しまくってこんこんと寝ていました。
2日目が一番辛かったそうなので、もし出ていたら数日動けなかったかも…と思えば妥当な選択。(ほんとは全部出るのがベストなんですが、体力不足に凹
最終日、イグルー自体はすばらしい出来で完成していました。着実にドーム状にブロックを積み上げて、外側が完成したのは4時。
内部のテーブル兼スクリーン部分が完成していません!
みんな一心に雪を集めて完成を目指します。
が、
冬の北海道の日は恐ろしく短いのです。
レンズをはめた頃には時既に遅し。
外は暗く、寒さが防寒着越しに容赦なく突き刺さって来ます。
手袋も靴もびしょびしょで、演習室へ帰宅。
鍋パーティが残念会になってしまいました。
そして授業としてのアイスカメラは終了。
あっさり佐藤先生は帰ってしまいました。(その佐藤先生目線の報告はこちら)
私たちはまだ作業を続けます(笑
再来週には完成させる予定です。
しかしこれは佐藤先生の仕事であって授業でやるのはどうなの?とか新聞社が来たから受け入れの先生の方が完成を見せたかっただけじゃないの?とか、思ったりします。
できれば芸術プロジェクトという教育大の通常授業とは違う扱い(ワークショップ形式OKの授業)で取り扱っていただきたかった。
大学に入ったからには生徒がマンパワーとして見られるのは仕方が無いので、それがいやなら卒業しろor授業とるなって話ですが・・・ようは使い捨てと思わせない授業が肝心ということですかね。非常勤の場合そのケアがほぼ出来ないので指導としては全然授業の方向を向いてないような気がします。
これは私たちのカメラなんでしょうか?
完成を迎える事が出来なかった分、フィードバックがまだありません。
佐藤先生がいなくなっても作業を続ける事で私たちのカメラだと言えるようになると良いのですが。
話は変わりますが、この数週間スノースケープモエレ/Sapporo2/教育大での授業(アイスカメラ)と3つのプロジェクトに参加しましたが、「雪」の難しさを痛感しました。
マテリアルとしての雪は白い粘土のようなもので、寒いってことを除けば至極扱いやすいのです。特に北海道で生まれた私たちにとっては子供の頃からその特性やなんかは大体わかっています。だからこそ、ゆきまつりなんかですごくクオリティの高い雪像が作れるのは当たり前といったら当たり前なんです。
けれど生活の中の雪はもっと複雑。
私は雪を愛している方ですが、人によっては憎むべきものでもあるのです。
わかりやすく言うと、雪は生活を脅かす存在だと言う事。
どんなに疲れていても雪かきをしなければ私たちの生活は始まりません。
除雪車に巻き込まれるのは現代社会の不運ですが、そうでなくとも凍死の危険がどこにでもあるということ。
日が短く、冬期鬱病やそれに準ずる症状が絶えないということ。
車の雪を払わなければどこにへも行けないこともそうです。
北海道開拓民は誰でも平等に冬に今でも悩まされているのです。
多分これは北方圏の世界ではどこでもだと思いますが。。。
そんな笑い事じゃ住まされない雪の世界で、アートだなんだと言うからにはもっと真剣にこの素材について考えて、本気でバカなことしたいなあと思うのです。
今回のアイスカメラはピンホールカメラという佐藤時啓氏の今までの流れから言うと納得できるチャレンジでした。
一緒にやってるのは学生だから、どこからも文句が出ないし誰にも迷惑はかからないから良いのかなーと思いつつ作業していました。あ、ネガティブな発言が多いですが、もちろん作業自体は倒れるまで一生懸命やりましたよ!
こういう複雑さを持った素材をあっけらかんと「○○にしよう!」って言えるのは、やはり風の人、アーティストの特権です。そしてそれを見た土地の人はいろいろ考えて自分の土地について考えることができるってことでしょうかね。
とりあえず完成で良い報告が出来るように向けてがんばりますー。
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