菅木志雄著作選集 領域は閉じない

物が出来上がってしまった後で、よく設計図やら図面を同じ場所に貼ったり、提出したりする傾向が二、三年前に流行ったが、あれは人の観念操作や、想像力を完全に無視したやり方にほかならなかった。(…)
  プランニングがなにかしら視覚的な造形を造る前提になるか、プロセスになるという意識がある限り、プランニングは永久に完結しえない、また、見せる必要の無いものだ。プランニングが、なにも表象作用として視覚化されないか、あるいは視覚化される意味をもたないときにはじめて、プランニングはプランニングとしての自立性をもつことが出来る。(…)
    プランニングという操作が、想像行為から視覚される表象作用にとりいれられることが一般化してしまった時点では、プランニングを見せるということの裏付けを失っている。なんらかの創造行為を否定した時にだけ、プランニングが重要な起点となるのも、物を作ろうとするものにとって、皮肉なことではなかろうか。
(pp52-53、「状態を超えて在る」)

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