『もの派-再考』
[「人間と物質」展を事例として上げ]新しい傾向の作家たちに対する、中原の文章をたどっていると、いわゆる「もの派」と言われる作家たちと、これら欧米の作家たちを区別する何ものも無いように感じてしまうが、カール・アンドレの作品に関してもリチャード・セラの作品にしても、作家と物質の関係性を見た場合、より客観的というか、主体と客体の関係性が明瞭であるように思われる。言い換えれば、行為を行う作家が物質に対して独立した立場を取っているのである。それに対して「もの派」の作家たちは、小清水の紙と石の作品にしても、吉田の角材と鉄板の作品にしても、あるいは菅のパラフィンの作品にしても、行為する者が物質の生理に寄り添っているような、主体と客体がある緊張感を保ちながらも相互に影響を与えあう関係性を持っていると言えるだろう。
(「もの派-再考」中井康之、p16)
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