木村英明「マンモスを追って-北海道の夜明け」(1985、一光社)から

昔人びとは、矢じりや石斧などを空から降ってきたものだと信じていました。雨上がりの畑では、雨にぬれた遺物がキラキラと光り、自然に目にとまります。まだ正しい知識をもちあわせていなかった人びとは、雨あがりの後に見つかる矢じりや石斧をかみなりと結びつけたのです。かみなりさまが雨を降らすのに夢中で、自分の道具を間違って地上に落としてしまったというわけです。
(p77)

 ソ連の首都・モスクワの東方一九〇キロ、ウラジミール市の東のはずれに、スンギール遺跡があります。旧石器時代のヨーロッパでは、もっとも北にあって、荒々しい氷河が目前にせまる厳しい場所にあったと想像されます。(中略)
 一九六四年の発掘で、同じようなお墓が二例発掘されました。そのうちの一つは、長さ二〇五センチ、幅七〇センチ、そして深さ六〇〜六五センチの大きな墓穴に、五五〜六五歳と推定される男性の遺体が横たわっていました。手足をまっすぐに伸ばした伸展葬です。身長は一八〇センチもあり、頭は北東に向け、手は前で組み、がっしょうしているようです。炭と灰がしかれた寝床で、まっ赤なふとんにくるまれたかのように遺体は、厚いベンガラにおおわれていました。土を埋め戻す途中や埋め戻し終わった後にもふりかけられていました。ベンガラの赤は、血の色です。何度も何度もふりかけ、死者が、再びよみがえるよう願ったに違いありません。
(p103)

コレ、引用したのは、「マンモスを追って-北海道の夜明け」(1985、一光社)から。数年前に北海道開拓記念館かどこかの博物館で買ったものだ。すっかり内容を忘れていたので再読してみたけど、面白い。北海道の考古学者・木村英明さん(おー、明大院卒だった)が書かれていらっしゃる本だ。

水鳥の彫り物がシベリアのマンモスハンターの装身具などで多く見つかっているらしい、シベリアの旧石器時代を代表するマリタ遺跡、その近くのブリチ遺跡などで。ロシアの人類学者M・M・ゲラシモフが1929年に、女児の遺体を発見した。この遺体のネックレスの真ん中にある楕円で真ん中が胴をなしている形の石も白鳥ではないかとゲラシモフさんが言ったそうだ。


画像は以下のリンク先から(著者の木村さんのページでした)
http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/11gatukara/gureetojilyani/siberiaB/2/maritaiseki.html

白鳥といえばヤマトタケルを思い出さずにはいられない
ヤマトタケルが無くなった後、その魂が白鳥になったという。人びとは嘆き悲しんで歌を四首も捧げたり、お墓も白鳥の生まれた三重と飛んで行った先の大阪とで作っている。
ところで、余談だけど、現在白鳥座として夜空をきらめき輝くゼウスは、物語では浮気のために白鳥になって、しかもアフロディテに鷲に化けてもらって、鷲に襲われる白鳥を演じて別の王様の妃であるレダにお近づきになったそうだ。エラい違いだ。
(白鳥伝説については天女の羽衣伝説の類型神話なので簡単にさらっていたことがある。3年前にレジデンスした鳥取の倉吉市に音楽好きの天女様がいたそうで、羽衣伝説が残っていたから。)

白鳥は、マリタ遺跡の時代よりもっと時が進むと鉄器文化などに関連づけられることもあるそうなのですが、このシベリアの遺跡から出てきたモチーフはマンモスの牙などで作られているそう。
一体なぜか。「鳥に対する特別な信仰があったらしい」とか、「死後の世界が白鳥の飛んで行くかなたにあると信じられていたのかもしれません」と木村さんは言う。

白鳥で北海道&シベリアといわれて、おそらく平原が続いたのであろうことを考えると、自然と想像は、豊富な湿原地帯と水鳥たちのイメージに向かって行く。そういえば、ヤマトタケルの魂が飛んで行った大阪も、昔は大きな海に沈んでいて、それがどんどん自然と人の手で干拓していくのだが、かなり湿地帯ぎみだったはず。そういった条件であれば、渡り鳥たちの羽を休める場所として賑わっていたことだろう。

きっと白鳥は季節というか、時間を教えるたいへん重要な鳥だったのではないだろうか。むかしはきっと時間は今みたいに24時間一日という決まりはない。以前読んだ占星術の本で、古代ギリシアでは「カイロス」と「クロノス」という時間の概念があったと知ったのだけど、その考え方がちょうど良い気がする。「クロノス」は、さっき言った時計で刻まれるような時間。「カイロス」のほうの時間は、結婚式に大安吉日を選んだり引っ越し日を決めたりするために見るタイミングのことらしい。満月や新月と同様に、白鳥やそのほか沢山の水鳥もまた、カイロスの時を告げる使者だったのではないだろうか。

時は、繰り返されることに重要な意味がある。
人生が明日も続く事を担保したり、生を勇気づけてくれるような存在が、渡り鳥。たとえばシベリアから本州の場合までは、それは白鳥だったのじゃないか。

自分自身や仲間達が生きるための、今年あるいは今日もあなたは不吉な事もなく生きていくことができますよということを、太陽や月のまちがいのない運行の繰り返しや、白鳥の渡りでもって告げられている、と当時の人は受け取っていたのかなと思う。これは今もよくある。だれそれと上手くいくか占って、とか、今日の運勢はどうのこうの、という感覚と同じ?







画像は以下のリンク先から(「日本人はるかな旅」展webpage)
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/2/2-07.html

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