人生は旅

  さあ、出発しよう、というときの衝動は、「帰りたい」という生来備わっている帰巣本能とほとんど同じようなものな気がしてならない。
  生物は帰りたい場所へ渡る。自分に適した場所。自分を迎えてくれる場所。自分が根を下ろせるかもしれない場所。本来自分が所属しているはずの場所。還っていける場所。
  たとえそこが、今生では行ったはずのない場所であっても。
(梨木香歩「もっと違う場所・帰りたい場所」『渡りの足跡』新潮文庫、2013、pp221-222)



  五ヶ月ほど住んだ家を引越した。引越し期間に読んでいたのが梨木香歩のエッセイだった。渡り鳥を手がかりに旅を続けていった著者が、ノーノーボーイや北海道開拓民(とくに道東の斜里)にも触れていて、驚いた。ただ軽く本を読もうと思っただけだったけれど、以前から気になっていたものや、最近知ったものに見事に接続していたのだった。北海道開拓は言わずもがな、ノーノーボーイは同名小説を夏に読んだばかりだったのだ。

  手違いで、次に入居する予定の女性と五日ほど共同生活をした。そういう手違いは些細なものから大きなものまで何度もあったので、正直ウンザリという気持ちもあったのだが、やってきた女性は無論無実だ。次第に気持ちもほぐれて、お互いの話をして仲良くなった。
  最後の晩には、いり飯という、村の伝統(というより長年親しまれてきたご当地)料理を作っていただけて(以前来たときに一度習ったのだという)、村を離れるのにふさわしい夜になった気がして嬉しかった。
彼女は徳島での定住に憧れ、仕事を辞めてやってきた。
移り住む覚悟を決めてやってきたのだ。言葉の端々からは、まさに覚悟としか言いようのない決意があったように思える。けれど、そんな気持ちも大事に綿に包んで持ってきたような、まったく朗らかな人だった。



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