アートプロジェクトリテラシー

アートマネジメントの分野、もっとピンポイントで行くとアートプロジェクトに対して興味のある同世代がどうやってそれらのプロジェクトに対してのマネジメントを学んでいるのか考えると、やはりまだ教育機関ではカヴァー出来ていない部分が多いような気がする。

で、こっちのログを見ればわかるのだけど、私の考えはこうだ。

アートプロジェクトを学ぶ学生が増えるのはやはり面白い傾向だと思う。
数年後には、まちづくり、政策、経済的観点からコミットしてくる人達ともっとスムーズに連携し、それが当たり前のようになってくるのかなとも思う。

しかし運営のためにどうやってノウハウを学ぶか、という件に関しての王道はやっぱり
現場で実際のプロジェクトのサポーターをし、運営に関わらせてもらえるようになって、自分で企画も出来るようになる…って感じが一番手っ取り早いし得るものも多いんじゃないかと思う。実際自分も必要性を感じていろいろなとことをうろついているし…

アートプロジェクトと称した授業を取れるようになっていたり、実際にギャラリーの運営を任されるような取り組みを展開している学校もあるみたいなのだけど、数人から帰って来た返事によると、実際に地域プロジェクトに関わっている学生としては、そういった授業に物足りなさを感じている人が多いのかもしれない、という印象を受けた。
アートプロジェクトはやっぱりワークショップだったりパフォーマンスだったり体を張ったドカタ系が多い…現場主義!みたいのはあるのかもしれないな、と思う。

そういう所に出入りする事自体はいい経験になる事なのだけど、ひっかかることがある。
例えば主に手伝っていた団体とか尊敬する人の考え方に簡単に染まっちゃうということがあるということ。もしくはその逆で、合わないからすごい拒否反応が出るということとか。
関わったプロジェクトで心身ともに疲れ果てて、もう一生プロジェクトをやらないという人がいたり、
アートとまちつくりで燃えちゃってアートプロジェクトなんだかまちおこしなんだか当人がよくわかってない感じになっちゃってるものもある。


アートプロジェクトに対するリテラシーが足りていないためにこういうことが起こるんじゃないかと思う
これはアートプロジェクトが全国的に普及していくにつれて顕在化して来た問題の気がする。

旧来の美術作品の強度で求められるのは「なぜ作るのか」という源動機。
自分の作品に対する説得力を保ち続けていればある意味なにも問題なく、そこから社会に訴えかけるほどの作品を生み出す天才は一握りしか存在しなかった。
しかしプロジェクト作品というのはそもそもが社会に働きかけることを前提としている。
独りよがりでは成立しないし、社会に対しての説得力が必要になる場合が多い。
たとえ出発点が個人的な動機からだとしても、それを「なぜ続ける必要があるのか」という問いに答え続けるための強度が必要だと思う。
なぜなら日本のプロジェクトの多くは助成金や様々な後援を受けて成り立つものだからである。
プロジェクトには公共の場を使う必然性や、公共の市民を巻き込むロジックが求められている。

さて、10代20代で初めて関わるプロジェクトが、良いものか悪いものかなんて判断出来ないし、とりあえず面白いんだから目いっぱい経験として楽しまなきゃなんだけど、
そのロジックに溺れる危険性や自らがただ運営するための駒になるかもしれないっていうことを覚えておかなければならないんじゃないかとおもう。

そういったアートプロジェクトリテラシーを学ぶ場はまだ設けられていないけれど、ここまで普及した日本式アートプロジェクトだからこそ、
その経済効果、社会的・教育的意義、そしてもちろんアートの文脈としてのリテラシーを育てる必要があるんじゃないかと思う。

そのためには現場の体験のみだとやっぱり足りないんじゃないかなあ…
作家さんと話すとかマネジメント関係者と喋り、なおかつ染まりすぎないというのがポイントな気がします。

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