一人暮らしセット

釧路湿原に行って来ました。素晴らしい風景を堪能しました。
車中では、ポルトガル語の子供向け猫の歌を教わった代わりに、ソーラン節をブラジル人の同期に教えたり、いろいろ。
私には思うところがあって、感情が波立つような思いで湿原の風を、匂いを、受け止めていました。
が、それは消化できていない部分がまだ多い。

そして東京へ帰宅。
22、23と後輩のK原が泊まりに来てました。なんでもイメージフォーラムのサマースクーリングに参加していたらしい。
今日、夕方には北海道へ帰宅するというK原を送り出した後に、北海道から送った荷物が我が家(わたしのアパート)に到着。


去年、仮所属していた北教大の工芸専攻の同期、伊藤孝英の食器を良心価格で購入。
箸は以前から使用していたものですが、一緒に撮影。このお箸も、同期の千葉竜也の作です。(北教大の先輩にあたる金工作家小林優衣さんがプレゼントしてくれたもの。)

今回、北海道に帰った時に、泊まらせてもらったり遊んでもらったのもほとんど工芸や日本画の同期。私は工芸を学んだ人達とは意外に仲良くしてもらっていて、それがすごくうれしい。それぞれの近況報告はまだ学生であり、世の中に出たことの無い(と通俗的に見ることができる)私には、とても興味深く身近な話でした。
作家を目指してがんばっている人、教師として美術教育に携わる、あるいはそれを目指す人、美術とは関わりのない職種についた人、いろいろな友人がそれぞれの道を歩み始めている、ということに心が暖まる思いを感じたのも事実。ですが、それを聞いてさて自分は?という部分に関しては、まだ何も先行きが見えてはいないというのが正直なところ。

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家郷の病から病み上がるために。十八世紀。山国スイスの男たちは傭兵としてヨーロッパ各地を転戦していた。ところがこの兵士たち、かなりの者が心に不調をきたす。ひどく憂鬱になる。医師たちはその原因を、山が見えないフランスやフランドルの平原風景に帰した。山が見えないせいで不安になり、精神の均衡を崩すのだ。こうして名付けられたのが「土地の病」とも「故郷の病い」とも訳せるマル・デュ・ペイで、それが逆行的にギリシャ語化されたのが「ノスタルジア」だ。(p189)


ある輪郭をもった集団として、そんな美しい「山」を共有するのが「移民」だ。(中略)
細川周平が、ブラジル移民100周年にあたる今年、彼の移民研究の集大成とも言うべき著作を完成させた。題して『遠きにありてつくるもの』(みすず書房)。「行動のすべてを離郷経験と結びつけがち」な「移民の心向き」をたずね、距離が純粋化する帰属意識を絵空事と笑うのではなく、それを「つくる」人々の身になって考えてみる。(p190)

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