art or action

今日(厳密には昨日)はフランスから来た映像作家のフレデリック・デフォー氏、
ダヴィッド・キットマン氏の特別講義を聞きに行った。


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結果的に空間研の掃除はさぼり扱いになったかもしれないけど、行って本当に良かった。


ダヴィッドの作品は、本人が言う通り政治や経済なんかを学んだ過去があるため非常に論理的で政治的な内容の作品だった。
名前をメモれなかったのだけど「政治的な内容の映像は構造も政治的でなければならない」というような考えの書籍に彼自身が影響を受けたと言っていた。
だからフィルムの構造も、象徴学のようにA=Bというルールを決めて作品を作るという非常にロジカルなやり方。


私はどちらかと言うとロジックな作り方を好むので、そういった作り方に対してはすごく共感出来る。
だからそのように作ることに対して、手詰まり感(表現しすぎるとか説明しすぎる状態)にならないのかという質問を映像研究室のI先生の通訳でしてもらった。
彼はそれに対しては「アートは直接的にすぐに社会に働きかけるわけではない。けれど、発言をすることで人々の意識をゆっくりと変えて行く可能性を持っていると思う。(注:I先生から聞いた答えの更に意訳です)」と答えてくれた。


ここをきっかけに「政治的」というワードで話が展開していき、全体としてすごく面白い講義だったと思う。


交流会でフレデリックをコンビニに連れて行ったので、がんばってむちゃくちゃな英語で話したりして、その後I先生に通訳してもらいつつめっちゃ話をしてもらったのだけどフレデリックもアルジェリアの紛争が色濃く反映された人生を送り、そういった個人的な内容を作品にしていることを率直に聞かせてもらった。
まず作品よりもなによりも、人生において、彼女の置かれた社会の動向がかなり強く反映されているのだった。
本当にイメージはポエティックな印象のフィルムだけど、シリアスにそのまま人生を反映しているようで話を聞くほど作品の説得力や強度を実感。
ハングリー精神がハンパないと思う。
彼女は自分で、若い頃から常にファティングしている人生よ。と言っていた。


二人とも大学の教員という枠の中にいるというのに、すごく刺激的な話をしてくれたと思う。


日本語で政治的と言ったらちょっと大袈裟かもしれないけど、政治とか社会に対して働きかけることに対してアートの持つ可能性というものは(まだ言葉に出来ないけど)、やはり大きいと思う。
しかし今ほんとうに私の中でPolitical Action と Artについて、各作家のスタンスが最近本当に疑問だったので、ダヴィッドの政治的作品についてやフレデリックの生き方そのものの政治的背景やスタンスから
出て来た表現の強さについて率直な内容を話せてもらったことはとても勇気の出る話だった。


学内では、反体制というかアウトローな立ち位置にいる私に対して、フレデリックやダヴィッドの奥さんに「パリに来たら良いのにね」って言われてしまう。
ファインアートとコマーシャルアートなんかの職業意識なんかもやっぱ日本とは全然違うし、ちょっと話を聞いてもパリって魅力的すぎる。
なにより学費が安いので進路をより専門的に選択しやすいというのはヨダレが出るほど魅力的なのだった。


うーん。。。良い話聞いたわ。。。。がんばらなければ。。。。。

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