『有珠山ー噴火の軌跡』

掛川源一郎写真集『有珠山ー噴火の軌跡』が手元に届いたのでさらっと見る。ここでもバチラー八重子さんの歌が引用されている。

掛川さんは、道内唯一の二科展写真部の会員だったそう。いまでさえ、道南、同郷の表現者というのは本当にいない。長万部も含めるとまた違う区分けになると思うけど、有珠とかっていうと、たとえば一番近い札幌でさえ遠いので、行くのは一日がかり。微妙な立地だよなーと思う。(ちなみに道東はもっとすごい。遠さと遠さで成り立っている。)
はっきり言って、日本の中では広大すぎる距離感覚で生きてるのが道産子なんだと思うのですが、ヒューマンスケールを引き延ばすのにも限界があるよね、とわたしは最近思ってきています。

だからこそ、メディアは違えど、自分を自分の住む土地で表現しながら生きていた同郷の八重子さんという存在は彼にとって貴重だったのかも?とふと思いました。

勝手な憶測ですが、5年間八重子さんの前に姿を現さなかった掛川さんが、なぜ、あえてまた撮りに戻ってきたのかという点の説明にならないかな…。アイヌでキリスト教伝道をした八重子さんという特異な存在としてはじめは見ていただろうけど、、、。

さて、有珠火山のこと。
掛川さんが77年の噴火を捉える前には、44−45年に昭和新山の造山運動を記録した当時壮瞥郵便局長の三松正夫さんが有珠にはいた。
有珠噴火には「記録」をさせるパワーがあるのかもね。噴火や造山活動が2年で収束するというのもちょうどいい速度なのかも。
(三松正夫さんについては、美術評論家の椹木野衣さんが『なんにもないところから芸術がはじまる』で紹介しているのでぜひ読んでください。)

火山灰に覆われた地面を撮ったモノクロ写真は、雪景色に似ているのだ
けど、木立の燃え残りがなんとも言えない姿をさらしている。
有珠山はわたしの子供の頃(2000年)にも噴火している。友達一家が親戚の家に避難しにきていた。有珠が噴火するのは30年周期。とすれば、次の噴火は2030年前後だ。
間違いなく、まただれかが、ヘンテコな情熱を持った記録者として現れて、有珠山を写し取るだろう。



追記:
Wikipediaの有珠山噴火と避難についての記述がもっともすぎて納得。。おかげで本当に被害は少なかったと思う。建物の被害とかはすごかったけど。
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瞥町・虻田町(当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を噴火までに実施していた。通常、緊急火山情報は人命に関わるような噴火が発生したことを知らせるものであり、噴火前にこれが発表されたのは初めての例である。(中略)「温泉などの、有珠山の火山活動による恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけないこと」という意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や、普段からの児童への教育などがなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行ったことなどもあり、被害は限局化されることになった。
===(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E7%8F%A0%E5%B1%B1)

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