南相馬市へ、



石田氏の友人が絵描きとして南相馬市の北部にある、鹿島という農村集落部に滞在していたので尋ねていきました。絵描きとして滞在していたのは筑波大卒業生の古山さん。
南相馬市のことを私は殆ど何も知らなくて、ニュースでよく名前を聞く津波被害地として認識していただけでした。実際には、東部は津波被害で700名弱の方が死亡。南部は東電の原子力発電所に近いため、20km圏内の立ち入り禁止区域を含んでいる。鹿島は原子力プラントからは30km圏内で市内では線量の低いほうなので仮設住宅が建ち並ぶ様相。
古山さんに多くの人に会わせてもらって(実際10人以上に会った気がする)話したり、畑を見たり、家を見たり、食べ物を貰ったりしました。彼女の下宿先に私たちも一泊させてもらって、庭に生えてる野菜を自分たちで収穫をし、この土地の食べ物をたくさんおいしく頂いた(魚は流通ストップのため九州や北海道のものだったけれど)。もともとこの土地が、気候に恵まれた豊かな土地だったということを実感させられた。
土地と人の繋がりの分ちがたさは、そのまま、人がその土地を受け入れることに通じているのだとおもう。そういう実感が深まった2日間だった。

9月11日は友人がもってきたボールとミットで3人でキャッチボールをした。その後、避難所として使われている中学校で黙祷。中学校のグラウンドは除染中だった。もうすぐ本来の用途として使えるように準備をするのだという。つまり、もうすぐ子供がそこで走り回るのかも。

私たち日本人が裕福になるために(実際我が家はあまり裕福ではないけれど)、このような状況になるまで何も知らず考えず動かず対話せず過ごしてきたということに、申し訳なさを感じずにはいられない。誰に対して?たぶん未来の人達や、この土地に対して。

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