Search the Mountain of Mind.

先週の日曜日に筑波山に登ってきました。

北海道出身の友人I氏と共に。彼女と知り合ったのは去年の鳥取レジデンスの時期で、筑波大学生だった彼女が、偶然私の存在を知り、タイミングよく訪ねてきてくれたのが出会い。
それからちょくちょく会っては、いろいろな話をしています。
良い友人を持ったものだと自分でも感心するぐらい。

ところで話は変わるが、最近読んだ以下の2冊の本にとても共感した。
ある日の月がとてもきれいだった夜に、金属工芸の先輩と歩きながら話をしたことをおもいだした。
わたしはきれいな月や、森や海の風景をみると、かなしみに似た気持ちにどうしてもなってしまうけれど、その先輩は逆だと言っていたこと。

この2冊に綴られた文章を読み終えて気付くのは、きっとわたしは
美しい風景をみるたびに、そこから離れゆきたいというもう一人の自分との葛藤を感じている。そのどうしようもなさから、かなしみを感じていたのではないかということ。

裏か表かということではなく、そのどちらもの間に行き来出来てしまうのが人間の小猾さであり陽気さなのだろう。人間は極端な方に流れたがる。だからそれは本当に意識して、この居心地のわるさを楽しまなければならない。最近やっとそう思え、それを意識できるようになってきたような気がします。

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ただ、“昔はよかった”という過去に立ち戻ることはできない。ノスタルジアから何も新しいものは生まれてはこない。自然も、人の暮らしも、決して同じ場所にとどまることなく、すべてのものが未来へ向かって動いている。(p238)


ぼくがアルとの十八年のつきあいの中で感じ続けてきたものは、民族に対する強烈な郷愁だったのかもしれない。言いかえれば、あらゆるものが変わり続けてしまうということの悲しみである。(p261)
ノーザンライツ/星野道夫





(世界がつくられた)
最初の一日の光景は、
きっとこんなふうだったのだ。
人ひとりいない風景は、
息をのむようにうつくしい。
どうして、わたしたちは
騒々しくしか生きられないか?
世界のうつくしさは
たぶん悲哀でできている。
(p7,8/世界の最初の一日 より抜粋)
詩集 人はかつて樹だった/長田弘



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