レジデンスで実感したことまとめ

地域の中に入り込んで、様々な年齢、職業、立場の人達と関わること、そこで関係が形成されること、それはもう当たり前に地域プロジェクトで起っていることだと自分がレジデンスをして実感した。
それをあえて美しい出来事として取り上げるようなことをしなくてもいいのではないかと今回痛感しました。

別の切り口でドキュメントしていかなければなーーと思ってます。
卒制との兼ね合いがあるのでもう少し後になると思うけれど。


余談(先ほどつれづれなるままに書いた記事の続き。)
廃校とアートセンター調査の授業は受講してないけどゲストとして明倫AIRの報告会授業をしたためAAFでも隣に立つことになってAAF報告会に参加しました。
でもSさんの授業だけでは落としどころは見えずらかったので受講した人達にはけっこうしんどい授業だっただろーなーーーって思う。

「学校」と「アートセンター」は「コミュニティの核」になり得るというところで共通項を見いだせるのが興味深いです。

廃校とアートセンターの面白さは、
学校を中心としたコミュニティがアートセンターを中心としたコミュニティにうまくシフトしているという事実だと思います。

廃校を使ってそれを行うことの理由を考えながら、アートセンター及びアートプロジェクトを俯瞰する、という構図の授業にすればもうすこし意義のある授業になったのでは。そこまで私もカヴァー出来てなかったけど。


「学校」や「アートセンター」「公民館」は「コミュニティの核になり得る」というところで一つ共通項を見いだせる。
地域のコミュニティの一つが、アートプロジェクト、アートセンターを中心としたコミュニティに変わっているという事実は丁寧に見て行かなければならない気がします。

事例の一つとして、廃校を使ったアートプロジェクト考えながら、アートセンター及びアートプロジェクトを俯瞰すると、地域のコミュニティの核となっていた人、場所の欠落がコミュニティの衰退に結びついているのが見えます。

しかし学校だけではなく、商店街、広場、公民館という場所でプロジェクトがなされているし、もともとそれら自体が核でありました。
それらがなぜ魅力的で、コミュニティの核となりえていたのか?

公共的でありながら個人的な(私的/詩的な)物語が生まれる場所だということがとても関係しているのではないかというのが今回見えてきたこと。

すげー情報量だった。
あと異邦人のふりをして生意気な態度ばかりとっていたので、やり口がよくなかったと猛省。

地域の人にとってのアーティストという肩書きがそうであるように、AAFの人達にとって教育大の学生という肩書きがわけのわからないものであることに代わりはない

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