火の精神分析 読了

しかしながら、詩的霊感のこのような分類を、人体中の主要な物質元素に見出すことを主張する多少とも唯物論的な仮説に結びつけてはならない。問題は物質では決してなく、方向性[オリアンタシオン]なのである。つまり重要なのは実体験的根拠などではなくて、傾向であり、昂揚なのだ。さて、様々な心理的な傾向を方向付けるもの、それは原初的なイメージである。すなわち、関心がないものへの関心、つまり「対象への関心」を突如として呼び醒ましたあの数々の光景[スペクタクル]と印象である。いっさいの想像力が集中したのはこの価値づけられたイメージに対してなのである。まさにこのようにして想像力はひとつの狭き門を通ってアルマン・プチジャンの言葉をかりれば「われわれを超越し、われわれを世界に向き合わせる」のである。
P149

私たちは統一性に包まれて詩を作るのではない。ユニークであるというだけでは詩の特性とはならないからである。もしそれ以上うまく作ることができず、直ちに秩序づけられた多様性に到達することができないにしても、弁証法を眠り込んでいる共鳴を呼び醒ます大音響として利用することができよう。
P179


「風景の力学」
  おそらく人間が己れの運命の諸矛盾にぶつかるのは、とりわけ社会生活、情感の交渉の中でであろう。だが、自然もまたわれわれにぶつかるのだ。自然の美しさとて平穏なものではない。コスモドラマ[宇宙劇]に身を投ずる者にとっては、世界は四方に開かれた劇場ではもはやなく、風景は通行人のための書割といったものでもなく、主役が自分の姿を引き立たせようとしている写真の背景、といったものでもない。人間は、ひとつの宇宙でもある巨大な果実を味わいたいと願うならば、その宇宙の主であると夢見ねばなるまい。人間の宇宙劇はまさにそこにあるのだ。版画というものは恐らく宇宙的な次元で、このような支配をもっとも速やかにわれわれに手渡してくれるのだ。
PP218-219

火の精神分析
ガストン・バシュラール
前田耕作訳
せりか書房

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