凡庸な芸術家の肖像

少数者と複数者を隔てるものは、いまや宿命なのではなく、とりあえず演じられる「役割」のちがいにすぎない。その二つの「役割」がともに必要なことを、社会そのものが容認しているからである。(p237)

彼らは、宿命として背負わされたわけではない倦怠と喪失とを捏造し、それを拡大する作業に専念せずには気がすまぬ卑小な意思、そしてその意思を実現するために動員されるこれまた卑小な戦略。これが、近代小説と呼ばれる言説の真の姿である。(p237)

完全な異国人として変容してしまうのでなければ、旅行は、いつでもより確かな自分との遭遇を約束してくれるに違いない。(p293)

そんなマクシムの内面とは無関係の、治安維持法ともいうべき法律の制定という、もっぱら外面的なできごとの結果でしかない。だから、このとき敏感に反応しなければならぬのは、皮膚という存在の表層部分においてであり、精神という内部においてではないはずなのだ。にもかかわらずマクシムは、外面の痛みを、内面の痛みとすりかえることで事態を納得し、その推移に歩調を合わせてしまう。真に政治的なのは、こうした外面と内面のすりかえを矛盾なく機能させ、その錯覚を万遍なく共有させてしまう匿名の力とも呼ぶべきものなのだ。(p361)




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