だれのための芸術

批評家はなんのために批評するのか?作家は誰のために作品を作るのか?という話をゼミの先生とすこしした。

民衆の中の誰一人としてそれを読まないとしても、その民衆のためにこそ文章を書くと言い放つた批評家がいたらしい。そう。あなたのために。ジジェクで言うと大文字の他者Other。作品をみることなんか死ぬまでに一度もないような人のためにこそ、作品を作るのだ。
これはそれにかかわった者の責務に近い、と私は思う。だれにも見られないのだとしてもその誰か(他者)のために作品は作られる。そのほうが救いがあっていい、と単純に思う。芸術は、芸術の枠内で閉ざされている世界の中の戯れではなく、もっと広い世界への投企、普通とは違う投げかけの仕方。普通なものをより一層感慨深くさせてくれる何か。つまりそれこそが芸術的投企art-projectたる所以なのではないのか?

we project an art into each our universe.

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・アートプロジェクトは、アートを手段としてコミュニケーションの問題に切り込んでいる

アートプロジェクトの中では、それを望む主体はアーティストではなく関わっている参加者自体なのではないだろうか。アーティストの作品はコミュニケーションの問題にコミットする(いわゆるアートプロジェクトになる)ことがなくても成立することは出来る?。
アートプロジェクトの本質はコミュニケーションの問題の解決なのか?
アートプロジェクトは芸術の大衆化を目的とするのか?

今日の夜のセミナーで思った事。
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Perhaps, that is the very reason why Art is the only real form of Freedom we might enjoy in our life.

今日のダニエルの課題作文の一文。

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