アニメーションのいま

台湾の中部、溪頭の合宿所で、南カリフォルニア大学のMar Elepano教授の特別講義がありました。
すばらしく刺激的な内容でした。


アニメーションの定義というものが変わっているというお話。
デジタル処理された作品の登場によって、かつて「映像フィルムのコマ」の移り変わりによってうごく映像をアニメーションと呼んでいたが、
ピクサーに代表されるような3Dアニメーションなどの手法でもアニメ—ションを作れるとなると、もはや「ピクセル」の移動がアニメーションの定義に拡張された、というような内容。
Film technologyの参考作品として、マクラレンのフィルムを見せてもらいました。(しかしノーマン・マクラレンを知る人が、ほとんど居なかったのにはすこし驚いた。)


その他、今後アニメーションはどうなっていくか?という段で様々な意見を紹介してくれていたけれど、
フィルムとデジタルの混合(Hybridって書いてた)された作品がつくられる、と書かれたものを見て、おもしろそうだな〜と思いました。
あと支持体が、スクリーン以外の媒体になるというイメージも面白かった。新聞の写真がアニメであったり、アニメを見る眼鏡が出来るなどなど。


そういえば、モノクロフィルムからカラーフィルムへの移行期には、その二つを取り入れた作品が、商業用映画でもありました。効果としてうまく使っているものもあれば、予算の問題でカラーが使えなかったといわれているものもあったような…
私は映画は全然見てない方なのですが、それでもすぐ思いつくのは、タルコフスキーの『ストーカー(STALKER)』ゲイリー・ロスの『カラー・オブ・ハート(Pleasantville)』(どちらも好きな映画)。

質疑タイムでは、「フィルムの技術はなくなることはないと思うけどどうなのですか?」っていう超漠然とした質問を、菅先生に翻訳して頂いて質問しました。
アニメーションは俳優がいないけれども、作家自身が俳優と成り、作家自身の内面を映像に投影することができる。それがアニメーションの魅力だ、というような返答。
それには賛成です。ほんとうにその通りだと思う。
実験映画とかもそうだとおもう。Elepano先生のアニメーションの定義はすごく広いところまでいっていると思います。

今期は映像の授業を取っているので刺激を受けて、You tubeでいろいろ昔見せてもらった有名な作家の映像作品を漁ってfacebookに上げるということをしています。
いろいろ見てて、かっこいいと思うのは、ローテクなのに未来を作り出そうとしている作品。

つまりもっと具体的にいうと、フィルム作品なのにビットだとかピクセル的に見えるような見せ方を極めて労力の高い手作業で行っているもの、には感嘆します。逆説的なhybridの仕方。

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