my missing sounds
8月1日発症。
沖縄からの帰宅の翌日に、朝起きて突然はじまっていた難聴。典型的な症状らしいのですが、違和感に気づいた時、直感的に、いくつかのイメージを思いました。
その一つは、「左耳の一部を置いてきてしまった」。そしてやたらと、沖縄で友達になった人の作品での、貝殻を耳に当てて外の音を聞く行為のことを思い出した。
そしてその後、休む事無く北海道長距離旅行。最終日の長万部の実家に居た日にだけ、実は回復した時間があった。そしてその調子がいい時に、なぜか両親に連れられて<洞門>と言われている、洞窟みたいに両岸が高く迫っている涸れた川の流れに沿って歩いてきた。たぶんもう十年間ぐらい、親子で通るたびに父に寄ってほしいと話はするけれど、通り過ぎたり受付が閉じていたりしていた場所なのに、偶然行けた。(本格的に洞窟っぽく暗くなっているところは、環境保護のために立ち入り禁止で入れなかったけれど。父の若い頃は誰でも入れたのに、、、非常に残念。)
そして、徳島に戻って疲れのぶり返しとひとつ仕事の追い込みがあり、また耳がんず(詰まり)人間へ。その後真面目に休んで、治りつつの、今。8月23日。
先週まで聴力が下降する一方だったのでお医者にも心配され、自分自身かなり不安だったのだけれど、点滴を打ったり、きちんと休んだら回復しました。
実際は寝て寝て寝まくって治したし、耳の閉塞感なんてあと数日もすれば忘れてしまうのだろうけれど、この現実で体験して繋がっていったイメージは不思議すぎて忘れないような気がする。
ところで、阿波踊りも耳がんずのまま体験したんだけども。
楽器=音に神がやどっていたとしたら、私の左耳は真空のように聞こえなかった神があった訳で。
(写真は幌加内にて)
コメント
コメントを投稿