斜里町イベントの紹介と印象


写真ゼロ番地 知床 実行委員会さんの投稿 2017年2月7日

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鈴木理策・石川直樹 Risaku SUZUKI・Naoki ISHIKAWA
PHOTO EXHIBITION in SHIRETOKO "TOP END"
2017.3.11 Sat - 19 Sun 斜里町公民館 ゆめホール 知床

*写真展 : 10:00 - 19:00 / 入場無料
*3/13(月)は休館となります

<オープニングイベント>
︎*鈴木理策・石川直樹アーティスト・トーク
3/11(土) 14:00-15:00 (開場13:30)
ゆめホール 知床内「文化ホール」
入場無料 / 予約は不要です
*鈴木理策ポートフォリオ・レビュー
3/11(土) 10:00-12:00 (開場9:30)
ゆめホール 知床内「会議室1」
定員 : 20名(要予約・先着順) / 参加費 : 1,000円(税込・1名)
見てもらいたい写真を当日お待ちください。
サイズ : A4程度 / 枚数 : 制限なし

お申込み :
「ポートフォリオ・レビュー参加希望」とタイトルをつけ、
1.名前 2.在住市町村名 3.電話番号 4.参加人数 を
shashin-zero@ezox.co.jp へEメールでお送りください。

※申込みから5日すぎても返信がない場合は、お問合せください。
※メールでのお申込みが難しい場合はお電話ください。
(TEL.090-7510-6190 / 事務局・馬場)
※定員に達し次第、先着順で締め切り、
公式サイトにその旨表記します。

詳しくは、公式サイト
http://shiretokophotofes.wordpress.com/
をご覧ください。

*そのほか、イベントを準備中です。

イベント内容は変更となる場合があります。
公式サイトを随時ご覧いただけると嬉しいです。
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公式サイト
http://shiretokophotofes.wordpress.com/

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上記事業、イベントは、石川直樹さん、中山芳子さん(シリエトクノート編集部)、長万部写真道場研究所の研究員お二人が関わっていますので、ここに紹介します。

以下文章は中村の個人的印象です。

知床を最初に「さいはて」と形容して紹介したのは森繁久弥か戸川幸夫だったんじゃないかと思う。そこから約半世紀が経とうとしている。日本の様々なメディアや表現者が、知床半島への常套句としてこの言葉を執拗に使うのはなぜだろうかと思う。
森繁が唄った最涯の番屋というのは、知床岬の番屋街が具体的にイメージされていただろう。彼らは映画撮影のために、羅臼港発の定期連絡船でまさにそこまで行っているのだから。羅臼町にはそのスチルが残っている。しかし長い時間をかけて、あの我々が知床岬と呼んでいる場所、赤岩よりも上[カミ]の側、あそこにあった賑やかさは失われてしまった。もう観光客が気軽に足を踏み入れることも許されていないし、昆布漁師も居ない。たった数十年の儚い営みだったとはいえ、懐かしさや寂しさが、まだ知床の涯てにあるような気がする。イメージと言葉と現実風景という三者の揺らぎを、そこまで含んだ上で、私はなるべく楽しみたいと思う。
これは地元側の視点を織り交ぜた、ただの余談でしかないけれど。

英訳に用いられた top 頂上が、作家の道程に最も呼応する言葉だろう。字義的頂上としての当地解釈は興味深い。
平面的であれ垂直的であれ頂上には終わりがない。地図の上でのみ完結したように見えているが、決してそうできない性質を持っているのは自明である。それ故に、瀬戸内や沖縄で展開されてきた石川氏の活動と、この知床での新たな活動が結びつくのだということもわかる。(それにしても、こうして彼が各頂点を繋ぐことにより、その頂が更に象徴されていくよりも、むしろtheからaへ変わるように無化されていくことに何かを見出せるような気もする。)

当地形容の際、あまりに安易に使われ続けた常套句を、個人的なイメージに転換し言語化している点、このプロセスこそ知床を訪れる他作家の姿勢にも被るものです。しかし、そこに常套と呼べるものはなく、それぞれの私性(言葉の背後に一人の人物が見えること)がありうることに強い興味を感じます。

名付けは一種の魔術であるなと改めて思うところです。

最涯の番屋に 命の火チロチロ
トドの鳴く夜は いとし娘が瞼に
誰に語らん このさびしさ
ランプの投影に 海鳴りばかり
(「さらばラウスよ」(現題「知床旅情」)作詞作曲:森繁久弥、1960年発表)

"地の涯"の果はどうなってるだろうか−−−と好奇心を抱くのは、誰しもおなじことらしい。半島内部の密林に入らないものでも、ここにはかなりの人が上陸しているからである。私もその一人であった。(...)このあたり、木造船の船が難破しごろごろしていた。根出藤さんの話だと「難破しているなあ、ほとんどが内地からの船ですよ。(...)」
 北海道も内地のはずだが、ここで聞くと、それが少しもおかしくない。それほどにここは日本から遠く離れている感じだ。
(戸川幸夫「地の涯の果」『野性への旅1 知床半島』1961、新潮社)

ちなみに、『知床半島』で戸川は「私は、知床という土地柄を知ってもらうには写真によるのが早いと考えました。」とあとがきにいみじくも書いている。これは、写真というものの特性をよく表している言葉で、大変に興味深いなと勝手に面白がっている。知床と写真は相性がいいのだ。

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