しかし田本のそれと高野(直太郎)の記録を比較していえることは、北海道が低賃金の労働力の収奪と搾取の上に成立していたとはいえ、そこにはなおかつパイオニアたちの野心やロマンティシズムが、開拓事業のはなばなしい進展という眼にみえるかたちで記録されているのに対し、東北は陸の孤島として飢餓と災害と因襲のイメージが記録を覆っていることに気づかざるを得ない。同じ辺境でも東北は、資本にとって夢のない土地であり、民衆にも希望がなかったという意味では、いっそう民衆の姿には哀れさがつきまとっている。高野直太郎が、前にも後ろにも出口のない東北下層民衆の姿にカメラを据え、かれら自身と運命共同体的に生きようとするところでつくられた記録には、田本一派のドキュメントにはなかった、土着的なリアリズムの強靭さがうかがえるのである。
重森弘 淹「無署名の記録と開拓者の記録:高野直太郎と田本研造」『カメラ・アイ:転形期の現代写真』(1974, 日貿出版社)

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