「静狩金山:北海道産金史研究」より

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「静狩泥炭形成植物群落 金に逐はれ鉱浮捨場に」
「(長万部発)長万部村から内務省に申請中の静狩泥炭形成植物群落百七十二町七反八畝八歩三合は二十二日附官報をもって天然記念物指定を解除されたが右泥炭植物群落は離島大島のおほみづなきどりと共に史蹟伝説に恵まれた道南渡島の貴重な学術的参考資料として毎年遥々内地から見学に訪れる学究者が多数あるので金増産の犠牲となって消滅することは関係方面から非常に惜しまれているが同村では今後同地を膨脹して来た静狩金山の鉱津捨場とし自然の客土によって得た埋立地に主畜農業者を入地させ牧畜業を営ませる一石二鳥案を以て進むことになった」
北海タイムス 昭和15年1月25日付
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しかし,それから約2年後の昭和17年3月になっても,そこは鉱津捨場として使用された形跡はない。先の水産試験場技師の報告に 「本調査に当り意外とする所は未だ本泥炭地に於て何等の施設なく,実施の準備すら無きものの如し。鉱津放棄の余地なしと説明せられて之が開放に協力したる当局の人々に対しては心外のー事たるを失はざるべし」18) とあり,そのことは明らかである。
 金山側はその理由として1"施設に対する機械の輸入不可なる為Jと釈明しており,また実際に天然記念物指定を解除されたものの未開地としての処分は条例によって50町歩に限定され,その許可された50町歩というのは「泥炭地泥土の泥深き一種の谷地にして,堰堤を築くべき基盤を欠」き,したがって沈澱池構築には
「全く不可能」の場所だったようである 79)。
 このような事情で沈澱池の建設は見送られたようであるが,しかしいわばその予定沈澱池の北西数百メートル,製錬所から約2.5kmの所には索道によって鉱浮が放棄されていた。そこは「現在の静狩開拓地14号排水の山際」であったが,そこには残津の小さなズリ山が形成された。後に, このズリを客土に利用することが考えられたが, しかし,ズリは「微粒状のもので乾けば飛び,ぬれればすべる性質をもっ
ていて,ほかの土とまぜ合わせでもしなければ使えない」ため,利用されることはなかった80)。
 すなわち,ズリを客土にして泥炭湿地を牧草地に変えるという村の思惑もはずれたことになる。「泰山鳴動して鼠一匹」。結局,長万部村や静狩金山が政府に申請,陳情してようやく静狩原野が天然記念物指定から解除されたものの、皮肉にも,戦争に帰国する建設資材の輸入不能や破壊の対象となった泥炭湿地のもつ特性自体によって,原野は大きな破壊を免れることが出来たのである81)。


78)五十嵐彦仁,八回良逸「静狩金山排液に就て」『北海道水産試験場事業旬報』第535号, 昭和17年7月, 14頁。
79)向上。なお,この資料では指定解除の面積は 272町歩となっている。
80) 『長万部町史』442頁。
81)しかし こうして折角破壊されずに済んだ静狩原野は,戦後の開拓開発によって排水路が作られて,結局は破壊され,元の姿をとどめることは出なかった。

http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31765/1/37(1)P79-101.pdf
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