日本海のヤブツバキ

 日本列島の中世時代がどうであったか、というを知ることは、近代を知るのと同じくらい意味があると思った。ということは、仏教も少し知っておかねばならないのかもしれないと、倉吉に来て不勉強をあらためて反省した。末法思想のことなど、実際にそのような思想を信じて生きてきた人がいた空間で具体的に知ると、なんだか当時を想像できる気もしてきて、興味深いなと思える。室町時代からあるという長谷寺を横目に、打吹山のテッペン目指して通り過ぎると、十一面観音さんや絵馬をないがしろにしているようで後ろめたく感じる。
北海道の東の方でも時代を見ようとしていたけれど、そういうことは、森と地形を読み解いて物語を想像していくしかないという結論に達した。
 それでも、今年はそこから離れてしまったので、今度は改めて北海道と本州の繋がりを知ろうしている。具体的には、青森のことから。道南に記述がなくても青森に対する記述はそれに比べれば多いだろうし、そこから道南のことを見ていくのは良いかもしれないと思ったのだ。
 しかしこれがなかなか難しくて、どうやら一筋縄ではいかない。青森も、歴史書だけではなく、植生や地形や海流だとかいろいろなところから情報を読み解いて、いくつもの尺度でストーリーを類推し続けていくしかないのだろうなと薄々思っている。
 一方で、倉吉は、この人に聞けばなんとかなるという、しかるべき人を次々にご紹介していただいたり、また遺跡史跡の調査がしっかりとしているおかげで、ある程度の道筋を示していただけた。短期間の調査であるにもかかわらず、大まかな話の筋は理解できた。

 打吹山に登ると、スダジイやタブノキのつくる木陰の下に椿が群生している。木陰の中で、ぬめぬめしたあの凹凸のない木肌を見て、実は私はなんだか恐ろしいなと感じた。見慣れないためだと思うのだが。
 白神山地の手前の小さな岬で見た、矮小化したヤブツバキの群生地の姿がずっと脳裏に浮かんでいる。といっても、植生保護のために立ち入ることもできなくて、しかも目の前に建ててしまった温泉の窓からしか覗くことができないので、メガネが曇っててよく見えないままに見た。


打吹山

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