シッダルタ
沖縄のゆきさんが引用して教えてくれた河の話が気になり、手元に置いていたヘッセの「シッダルタ」。昨晩から突如読み始めて一気に読んだ。私にもなにか気になる言葉が多かった。
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「人はみな自分の持っているものを与えます。戦士は力を、商人は商品を、教師は教えを、農夫は米を、漁師は魚を与えます。」
「ごもっともで。ところであなたが与えようとなさるものはどんなものです。あなたが学ばれ、おできになることは、どんなものです」
「私は考えることができます。私は待つことができます。私は断食することができます」
「それで全てですか?」
「それで全てだと私は信じます」
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彼は新たに目醒めた声が心の中で囁くのを聞いた。その声は彼に言った。
「この河を愛せよ。そのもとに留まれ。それに学べ」と。そうだ、彼はこの河に学ぼうと願う、この河に傾聴しようと思う。この河を理解しその秘密を理解するものは(そう彼には思われた)、その人は他の多くのことを思う理解するだろう、多くの秘密、一切の秘密をも。
(p139)
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『求める』とは何かの目標を持つことです。しかし『見出す』とは捉われぬこと、懐を開くこと、目標を持たぬことです。御僧よ、なたは実際『求める人』のように思われます。なぜならあなたはあなたの目標を追うあまり、しばしばあなたの目の前にあるものに気づかれぬから。
(p190)
ヘッセ『シッダルタ』手塚富雄訳、2011、岩波文庫
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