VOCA展2024出品に寄せて

【追記2024.3.20.】下記テクストは清書され、3月14日〜30日のVOCA展2024会期中は、上野の森美術館の物販コーナーにて、中村絵美のグッズ「寄木塚1-3号セット」に同封して販売されています。サンプル展示もあるのでその場でお読みいただけます。

ご興味のある方がおりましたら会場まで足をお運びください

また、会期後に残る在庫があれば寄木塚ウェブショップにて頒布される予定ですので、気になる方がいらっしゃいましたら次のURLからご確認ください(頒布希望も同サイトの問い合わせ欄から受け付けます)。 https://yorikitsuka.base.shop/

 【追記ここまで】

 平⾯美術の領域で国際的にも通⽤するような将来性のある若い作家の⽀援を⽬的に1994年より毎年開催している「VOCA展」。その領域から40歳以下の作家を、全国のアートの現場に精通した美術館学芸員、研究者、美術評論家らが推薦するもので、過去の出展者には奈良美智、村上隆など現在日本のアートシーンを牽引する現代美術家たちや、Nerhol(田中義久・飯田竜太)、玉山拓郎、水戸部七絵、川内理香子など新進気鋭の作家たちが名を連ねている。

引用:「VOCA展2024の受賞者が発表。グランプリは大東忍に決定」『美術手帖』2023年12月21日、カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社、https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/28245


voca展紹介のリード文って、ぜったいにいつも奈良美智氏や村上隆氏の名前が挙がる。彼らが日本の現代美術を牽引する国際的代表者であることは疑いようがない。ジャパニーズ・アート・ドリームとでも言うべきか、そういう夢をvoca展に持たせ続けたいという広報意図も汲み取れる。そういう観点から言えば、「若手作家」に彼らの背中を示すのは必要十分なことでしょう。

だけど、このリード文にあやかって、それとは別の観点で私が現代美術を学びはじめてからずっと思っていたことを書いておこうと思う。

村上隆氏の自画像的絵画とされ、ネズミをアイコン化し大きな耳と目を持たせたアニメーションキャラクタのような姿をした者が登場する絵画のタイトルに使用されてきた「DOB(ドブ)」という言葉がある。これが「ドボチテドボチテ、オシャマンベ」を示したイニシャルだということを、現代美術の専門家の方々は覚えていますかね?(この絵画は90年代初頭が初出とのこと)

「DOB」は、川崎のぼるの『いなかっぺ大将』(1967-72漫画連載, 70-72アニメ放送)に頻出する「どぼちて?」という台詞、お笑いの由利徹のギャグに使われた「オシャマンベ」というフレーズを組み合わせて生まれた作家独自の造語として知られている。村上氏は、この言葉を日本のある時代のサブカル史を象徴する記号として選んだと考えられる。また、おそらく、発表当初は「自虐ネタ」的な発想が含まれていたのではないかと推察するが、ここで専門的、論理的にそれを述べはしない。

ここでは、まず初めに、上記のフレーズ、すなわち日本人の娯楽の「ネタ」を素材の一種とした作品を代表作とする作家が、日本の現代美術のある種の栄華をいまだに象徴しているという事実を指摘しておく。

もちろん、私も大学に入り、日本の現代美術、特に絵画の基礎教養として、「DOB君」の絵画シリーズをスライドで見せられ、このタイトルに「オシャマンベ」という地名が潜んでいることを知った人間であることも銘記する。

そのようにして現代美術の多量のセオリーをほとんど無批判無反省に涵養し育てられてきた私が、それでもなお、この地名を持つ町が、私が生まれ育った場所であるということを主張するためにこのテクストは書かれている。


オシャマンベ/長万部という言葉は、アイヌ語由来の地名だ。

由利徹氏が長万部をネタにしたのは『網走番外地』(1965)撮影時に道内滞在をしていたときのこと。言うまでもなく、彼は単に下ネタ用の遊び言葉として北海道の地名を採用した。

おそらく由利氏にとっては女満別(メマンベツ)だろうか、内真部(ウチマンペ/青森地名)だろうがなんでもよかったのだろうと思われる。足を運ぶことさえできれば、用萬(ヨウマン/樺太地名)だってありえただろう。彼はアイヌ語由来の地名の持つたしかな意味を剥ぎとり、そこに含まれる特定の音節に、日本語圏域でのみ通用するやり方で、性的記号を担わせることに成功した。日本国内で事実上唯一の公用語として使われている日本語が、あるいはTVの普及が、全国的規模でのアイヌ語由来地名の娯楽消費を可能にしていることは言うまでもない。

ここでは、アイヌ語圏としての歴史を有してきた北海道・北東北の歴史は完璧に捨象されている。

そうでなければどうして笑っていられる?

そういうものが日本の1960-2000年代であったことを、村上氏の勝ち取った栄光が図らずも照らし出してくれている。


あらためて言う、この地名の音節一つ一つに込められたアイヌの世界観は、現実の土地の景観と密接に結びついているということを。

もしも長万部に来たら、ネイチャーガイドの手法を使っていくらでもあなたたちにその物語を語りたいと思う。

ただあらかじめ断っておくと、私の持っている物語は、家族間で伝承されたものではない。ほとんどすべて、幼少期からの自然遊びやスポーツハンティングやネイチャーガイドの手法による景観観察、そして過去の文献記録の調査を基に架構した物語である。それ以外に、この土地に育った入植者の子孫に、一体どんな方法がある?


私は今回、現代美術の視覚展と銘打った、上記展示の出品作家となったので、ぜひこれを大きな声で美術の専門家たちへ伝えたいと思っている。



付記

上記テクストは私の作品の外観と直接関係するものではありませんが、制作スタイルに関わっているでしょう。

出品に関わり、応援してくれた家族、制作協力者の方々、そして推薦者に深く感謝しています。私は出品作品完成後の11月17日にくも膜下出血を起こし、本展への出品以上に、生存が危ぶまれる状況でしたが、この方々の支援や励ましに救われて生き直すことができました。




コメント