言葉の用法



以下、 「アーティストが使う言葉について(チャランケの用法)」(https://www.facebook.com/emi.nakamura.14/posts/4250395098331222)として、Facebookに投稿した記事を、備忘録として掲載します。様々な体験から一人で思考していたことの、この文がひとつのまとめになったかもなあと思ったのですが、SNSはすぐ流れていってしまうので。(ブログ用に改行等少し整理しました)

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2013年から3年間、私は「沖縄/北海道 芸術文化交流プロジェクト」(富田俊明・上村豊企画)に北海道出身の若手アーティストとして参加し、沖縄の同世代のアーティストとの交流や日本の中の北と南の往来を経験したことがあった。初年は、沖縄市内で北海道出身作家として2人展を実施した。その間、沖縄市に滞在し、様々な人の計らいでいくつかの展示を見た。この時巡った数というのは本当に少ないが、その後も沖縄の情報に多少アンテナを張るようになった。そうした中で心に留まったことのひとつに、沖縄の作家は、展示や作品のタイトルに「うちなーぐち」をそのまま使う場合があり、その行為に対して特に注釈がいらないようだということだった。一時的な滞在者の自分にはそのときそう見えたということで、これに注意している人とそうでない人がいると今は思う。
ここ最近、東北の展示では、地元の方言を使う場合があるということが気になるようになり、そんなことを思い出している。(例えば、秋田公立美大の2020年度の卒業制作・修了展のタイトルが「へば」だとか、工藤正市写真展(青森)が「くらしのかまり」だとかいう用法。)
では、北海道では、アイヌ語による名付け、方言による名付けが、どのようにして可能だろう。特に入植者をルーツに持つ「わたし」による名付けは、現代ではそれなりの構造転換があった後にしか成立しないだろうと考えている。言葉はもはや誰のものでもなく、だからこそ透明に使えるものではなくなっている。
ちょうど、私が沖縄に初めて訪れた2013年の夏は、ミュージシャンの三宅洋平が緑の党から参議院選挙に出馬していた。彼は街頭で音楽ライブ込みの演説を行う「選挙フェス」ということをやっていた。彼の行為は、ドイツの大芸術家として名高かったヨーゼフ・ボイスが、かつて芸術家でありながらドイツの緑の党から出馬したことを彷彿とさせ、またエンターテイメント性もあって、SNSを中心に、無党派層だとか芸術文化の現場に携わる人だとかに大いに話題になっていた。SNSやyoutubeで動画が次々アップされるため、彼の発する情報にアクセスすることも容易だった。これは、当時としては画期的な広報戦略として受け止められていたと思う。私もこうした動きに注目していた一人だった。

三宅は、街頭演説の中でアイヌ語の「チャランケ」という言葉を好んで使った。彼は「チャランケ」を「徹底した話し合い」という意味で使ったが、実際は、誤用だとして批判を受け、「ウコイタク」という言葉も併用していくことになる。一方で、三宅が誤った意味を付与して用いた「チャランケ」は瞬く間にSNS上で広まり、タグ付けのキーワード等に利用された。
その結果、彼が当時誤用したままの「話し合い」というニュアンスで用いられることがいまだに続いている。
では「チャランケ」とはどういう言葉なのか。当時三宅は「チャランケ」と「ウコイタク」について、演説中以下のように述べた。

アイヌの言葉で 「チャランケ」って言葉があるのね。(中略)ぼくはそれをけっこう今回の選挙でキーフレーズとして使ってきたの。チャランケしたい。国会を「チャランケ」の場に戻したいし、「チャランケ」したい相手がいっぱいいる。これ、もう少し平和的な話し合いの意味で使ってたんだけど、OKI DUB AINU(BAND)のOKIさんに「洋平、チャランケってどういう意味か、おまえ分かってるか」って言われて。「めちゃくちゃ物騒な言葉だぞ」って、「おまえもうそのチャランケの使い方やめろ」って言われて。でももうポスターも何万枚も刷ってしもうたし、どうしようと思ったんすけど。じゃあぼくの言いたいニュアンスは、何て言うかっていうと「ウコイタク」って言うらしいんですよ。より平和的な対話。
(youtube動画〈三宅洋平@広島1 2013年7月11日〉(29:21から) https://youtu.be/UkgTolFzsWY?t=1761 最終閲覧日:2021年8月20日/なお、文字起こしで参照したサイトは次のとおり https://in-the-eyes-of-etranger.blogspot.com/.../2013711.html?fbclid=IwAR13HTPksz9RQUeeg7YJ39Chf1TZotH_fo92S2a9PTo_Dg1qgQ5TLMUcpZg )


萱野茂は、自らが編纂したアイヌ語辞典で「チャランケ」の訳を「談判(する)、話し合い」とした。また、二風谷ダム裁判を、アイヌが武力によらず日本の法律に基づいて行う、日本という国に対するチャランケであると位置付けていた。
結城庄司は「チャランケ」を説明する際、「日本語に訳すと「談判・論争」」と萱野茂に準じた翻訳をしつつ、チャランケの伝説を引き合いに「命懸けの精神的超越を必要として行われるもの」と言い、あるいは「現代的に言い換えるならば「ハン・スト」の座り込み」に「同じではないが精神的な面で似ている」と記した。(結城庄司1997、p.214)
こうしたことからも、「チャランケ」は三宅が当初捉えていたようなピースフルなものではなく、どちらかというとOKIが言ったような「物騒な言葉」なのだろうことが理解できる。
選挙戦を終えた2014年には、三宅が自身のブログで同じエピソードを「【チャランケの用法に注意】」として、述懐し、言葉の用法について改めている。(三宅洋平2014)
OKIの指摘は、彼にとって手痛いものだったに違いない。
しかしながら、三宅と同じくミュージシャンのOKIが、ステージの上で彼の芸術行為のある誤りを指摘し、三宅がそれを契機に繰り返し己の行いを振り返り、言葉の用法を修正しようとする、この両者の姿から、私たちが学ぶことは多い。

一旦広まった誤用は、なかなか終わらず、連鎖するものらしい。こうした芸術家の勝手な用法の例は、枚挙にいとまがない。場合によっては、誤用について、アイヌの人は問題ないと言っていたとか、地元のおじさんもそういう意味で使っていたよ、ということを、素面で言う芸術家が存在している。(芸術家ではなく、地元の人間に責任を押し付ける行為なので、個人的には、こういう言い方の専門家は許してはならないだろうと思う。)
その場合は、アイヌ語学者の知里真志保の記述した「古老必ずしも真を語らず」というフレーズを思い出すがよい。知里は、あるアイヌ語学者が、己がフィールドワークで出会ったアイヌの言葉を無批判に受け取り、誤った語の解釈をしていること、それが学問上の通説になっていることを批判して、以下のように書いた。

ここで問題にしてもいいと思うことは、アイヌ語の語系や語法というような学説的なことにまで、アイヌの古老の言ったことだからと言って、それに権威を認め、そのまま鵜呑みにしようとする非学問的な態度である。そのようなことが許されるならば、大学の講壇に高い(?)給料を払って学者を雇ってくる必要はない。
(知里真志保『アイヌ語入門 特に地名研究者のために』(復刻)、北海道企画出版センター、1956年、p.13)


彼の提起は、特定の学者に向けられたものであってそうではない。知里のアイヌ語誤用に対する問題意識は、「和人わ舟お食う」(1947初出、知里真志保1986)という原稿での徹底的な日本語助詞の誤用によって明瞭に表現されている。彼は、この原稿で日本語の誤用をあえて行うことで、アイヌ語のそれが如何なるものかと問いかけているのであろう。
知里と同様の問題意識は、萱野茂にも受け継がれている。例えば、「アイヌ肖像権裁判」の証人証言の場で、萱野は以下のように言う。「学者はですね、自分たちの内側だけで、アイヌが読めなければ間違いがあっても指摘されっこないぞと、少々のことはやっちまえという気運ないとは私は思わない。」(現代企画室編集部1988、 p.166)
一度、学者を、アーティストやデザイナー、様々な創作者の職種に置き換えて読んでみてほしい。そして、言葉にも、素材としての抵抗があることに注意して使いたい。それはいくらでも意味を与えられ変えられてきた柔軟な素材だけれども、力任せに使える素材ではないのだ。

政治の場で、チャランケという言葉を好んで使ったという人の、先行者は萱野茂ではないかと思う。
最後に、萱野のチャランケについての解釈を記す。

ウコチャランケというのは、北海道の人ならたいてい知っている言葉です。応々にして、まちがって解釈されているんですけれども、ウコチャランケの本当の意味は、ウ=互い コ=それ チャ=言葉 ランケ=おろす、つまり自分が思っている言葉のありったけを目の前に並べましょう。そして事の善しあしというか、何か文句があった場合、それをそこに並べてあたりの人に聞いてもらって、善悪を判断してもらう、こういうことでウコチャランケというのは、すごく良い言葉です。
(萱野茂『アイヌの里 二風谷に生きて』北海道新聞社、1987年、p.104)

(敬称略)

参考文献:
>ブログ記事
三宅洋平、2014年09月02日投稿、「残波JAM出演 (6) OKI with special band」、『三宅日記』 https://ameblo.jp/miyake-yohei/entry-11919118559.html  (最終閲覧日:2021年8月21日)
>書籍
萱野茂、1996年『萱野茂のアイヌ語辞典』三省堂
萱野茂・田中宏(編)、1999年『アイヌ民族ト゜ン叛乱 二風谷ダム裁判の記録』、三省堂
現代企画室編集部(編)、1988年『アイヌ肖像権裁判・全記録』現代企画室
知里真志保、1986年『和人は舟を食う』北海道出版センター
結城庄司、1997年『結城庄司 遺稿 チャランケ』草風社

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