「今日の先住民性-歴史的状況」ジェームズ・クリフォード

北海道大学アイヌ・先住民研究センターが開催する講演会「今日の先住民性」byジェイムズ・クリフォード氏(@北大9/22)に飛び入り参加。

じっくりと紹介されたのは、今年発売の小説
Tommy Orange“There There”

このタイトルは詩人ガートルード・スタインの有名なフレーズ「そこにはあそこが無い」"There is no there there."の引用なんだそうだ。

この小説から、アーバン・インディアン(都市の先住民)についての説明のために三、四つパラグラフが引用されてました。
その中でもとくに私の印象に残ったフレーズだけ、ここでは書き出しておきます。

“But city made us new, and we made it ours.”
都市が私たちを刷新し、私たちは都市を自分のものとした。

“We’ve been moving for a long time, but the land moves with you like memory...”
私たちは長い間動き続けているが、土地も、記憶と同じように私たちと一緒に動く。(いずれも太田好信訳)


70'からの30年間で先住民理解に変化が起こりはじめる。80'-90'には、ローカルでありグローバルである変遷が起こった。それは次の二点、1.資本主義的転回 2.脱植民地化である。本講演では、1の先住民性と資本主義の関係が繰り返されていたにもかかわらず、時間の関係で充分な説明がなくて残念。そのことは本人も言っていた。とはいえ資本主義との関わりについての説明で、カナダのブリティッシュ・コロンビアの先住民族センターのお土産もの、アラスカ先住民の企業化(部族的資本主義)のことを、ごくごく簡単にだけど触れていた。
冒頭でクリフォード氏が「先住民についての中心的な場所があるという考えを否定したい」と言っていた。観光土産を高く売ることに対して、先住民性が喪失されていると嘆いた友人研究者がいたが、自分はそうだとは思わない、と言う。ちなみにこれはパフォーマンス という概念での解説があった。パフォーマンスはクリフォード理論のキー概念の一つで、精神の内側であれ対外的にであれ、オーディエンスによって人や物がその役割を変化させること。(この概念は、いまは博物館の収蔵物に対する理解の基礎になっている。つまり、物は特定の一つの意味だけを持つものではなく、見る人によって、引き出される意味や記憶が異なるんだという理解の仕方。)
(これは前回冬に網走で聞いた中村和恵さんのオーストラリアのアボリジナル・アートの売買システム、ルールについてのお話しと近い話かなと思う。物理的に存在するその物は売られるけど、彼ら自身の聖なるデザイン、文化的意味をそこで売っているわけではない。)

・・・
これ以上の詳細な理論は彼の著作Returnsを読んだ方が分かると思う。


 

Returnsを読んだ人(おそらく研究者)からの質問で、Home Landにこだわるというの先住民であり続けるための条件なのでしょうか?という質問が出た。

クリフォード氏はLand = the emotional symbolic wayと言っていたと思う。ここでも、「中心的な場所はない」という考えが繰り返し述べられていると感じた。
「保留地に戻っていると考えるよりも転地(displacement)は常にあったのではないかと考える。」
「場を想定しない結びつき、例えばインターネットによる結びつきを想定している。」
「私がこういうと、先住民とそうでない人は同じではないかと思う人がいるかもしれないが、同じなのかもしれないという立場を私はとる。」
以上のような回答をしていた。

世界中の歴史を見れば確かに、先住民も移民の道を余儀なくされた人々であるということに気づいてハッとさせられた。

たしかに、クリフォード理論でいうところの先住民性の多義的意味を容認すれば、既存の先住民という枠組みは溶解していくことになるのかもしれない。ただ、先住民の権利を守るために、「先住民」という言葉が依然として強く必要とされている昨今、人類学研究の中で定義され今日的文脈で拡張された<先住民性 Indigeneity>と、理想的社会からはるかな距離を取るこの日本社会を、どのように結びつけて考えていくのがよいのだろうか、と、そんなことを考えることになった。

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