シャチの写真

伊達のだいこん、斜里のじゃがいも、今日羅臼沖で釣ってきた宗八ガレイ、澱粉まぶして揚げて、今晩の夕食でした。
宗八はわたし的には主食なので、うれしいうれしい。

今日釣りに連れてってくれたのは、遊漁船をやっているご夫婦。のんびりしてて最高だった。うちの両親より少し年上なのかな。まだまだ元気。
魚のいる時、凪の時、良い時に行けばいいんだから、あたしたち無理しないのさ、と奥さんが言う通り、風が吹いてきたら、もう今日の賄い釣れたし辞めるか!とすぐ引き返した。

奥さんは大の写真好きで、というかわたしはアマチュア写真家の部類に入るとおもっている方で、帰ってきてからパソコンに入ってる写真をすこし見せてもらった。
今年のシャチの写真をずっと見ていた。気になったのは、ほとんどどのタイミング、場所でも写っていた海面の藻くず。これが野生のシャチの遊び道具だということは知っていたけど、これほど拘って遊んでいるとは思わなかったなあ。
頭や背鰭で海藻を突く遊びをしていたり、噴気の泡をわざとブブッと二回噴いてその泡を突いたりしている。おそらくルールみたいなものを即興で決めてやっているんだろう。人間も子供の頃よくやるようなレベルの一人遊び。
シャチがどれだけ遊ぶのが好きか、よくわかる。映像で示されては、冗長になりよくわからないのではと思うけれど、写真ならばモノになりそうな予感たった。あるいはテレビ番組のようにナレーションが入れば、、、作品ではなくて、生態解説番組になるか。

その動物の性格、生態や、周囲の環境やら、気づいた人からシャッターを押すタイミングが変わるもんですね。

シャチは美しい姿形の生き物だと思う。それだけでモノになりそうな気がしてしまう。
シャチの横に所在なく藻くずがふよふよと浮いた写真を一枚、もしもどこかで発表したとして、評価できる人がいるのだろうか。
この時の良さは自分たちで解説していかないと成立しないのかもしれない。あるいは絵づくりとかの、技術的なある種の翻訳を経るしかないのか。外の人が喜びそうな翻訳をしてしまって、つまらなくなったりもしそうだけど。私も立体制作で勝手にそういう罠に嵌って自滅したことがあるので。

外の人にはリアリティーを感じられないとしても、わたしたちにはリアルなもの。それをどうやって見せていくのか。
あるいは、外の人が見れないものは、見せなくってもいいかなと思ったりもしている。
最近そういうことも考えている。

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